Black Swan

adf2011-06-14

ダーレン・アロノフスキー監督によるホラー映画。監督自身が前作『レスラー』と対になる作品であると語るとおり、前作同様アスリートの肉体に焦点を当て過剰な身体性を描くことで、その内面に潜む異常性や狂気が抉り出されていく*1

『レスラー』では長年のプロレスキャリアの結果ボロボロに経年劣化した肉体を生々しく描写することで、彼自身の精神の磨耗と、娘や愛する人を犠牲にしてもプロレスに依存し続けるアスリートの内面をリアルに描き出していた*2。『ブラックスワン』では「白鳥の湖」のプリマに抜擢されたバレリーナが、自らの投影のような純潔の白鳥と、自分と真逆の官能的な黒鳥の間で揺れ動く様を、彼女の肉体の変化を通して描かれる。それは、無垢な少女と性的に成熟した女との間で困惑しながら、肉体の性的な変化と伴に否応無く成長していく思春期へのメタファー*3のようでもある。

本作はしかし、前作『レスラー』と大きく異なる点が一つある。それは『レスラー』が個人の物語であり、娘の存在はあくまでも他者でしかないのに対して、本作における母は主人公にとって極めて近い存在であり、他者でありながら自分の中に存在するものとして描かれている。母が象徴するのは抑圧であり、主人公の性的なそして人間としての成長と開放を邪魔*4し、縛り付けて妨害する彼女から逃れようとする主人公の情念こそが本作における狂気の源であり、本作をホラー映画としている*5ものの正体であると思った((だからこそ乱暴に振り切ってきたはずの母が、観客席で微笑んでいるシーンは逆に狂気に満ちている)。

ちなみに本作で最もダーレン・アロノフスキー監督のサディスティックな面が発揮されているのは、かつての美しき天才子役のウィノナ・ライダーの使い方で間違いない。方々で既に言及されているけれど、あのウィノナ・ライダーを盗まれる役に配するあたり故団鬼六先生もかくやというところ。

*1:肉体の生々しい描写が精神の狂気にリアリティを与える演出方法

*2:プロレスのために自らの肉体をそこまで犠牲にすることを厭わないものにとって、父として恋人としての人生を捧げてしまうことなど当たり前の選択にすぎない

*3:主人公を演じナタリー・ポートマンの実年齢は30歳であるが、本作における彼女の心も体も思春期の少女のそれのようである。もちろん意図してそのように演じられているのだけれど、子役出身で童顔の才女(清純派)であったナタリーを起用することで、その効果は飛躍的に高まっている。前作で負け犬役にリアル負け犬のミッキー・ロークを配したダーレン・アロノフスキーは、やっぱりサディスティックだと思った。

*4:母が娘の爪を深く切ることで描写するのが下世話で素晴らしい

*5:古今東西、母と娘の関係性を描いた物語はそこに狂気と恐怖を抱えたものばかりである。それは多分、本質的に美醜が重んじられ若さの価値が男よりも高い女性同士の関係性において、母は自分より若い娘に対して無条件で嫉妬を抱いており、娘は母に対して罪悪感にも似た感情を常に持っているという、その関係性の複雑さによるものなのかもしれない。