息もできない

adf2010-04-17

韓国の俳優のヤン・イクチュンの映画監督デビュー作。製作費が途中で足りなくなり、ヤン監督が家族や友人から資金援助を受けたり、家を引き払った保証金を充てて、なんとか完成した本当の意味でのインディーズ映画。ちなみに監督だけでなく脚本、演出、編集に至るまで全てヤン監督が担当しているらしいDIYな作品。当然、彼の本作にかける思い入れはスクリーンを越えて僕のハートを震わせるほど強く、強烈なパワーを持った映画だと言える。

本作で描かれるのは、コミュニケーションとしての「暴力」に他ならない。暴力は、言語や表情、ジェスチャーのような他のコミュニケーションと異質なものではなく、暴力を使う人も他のコミュニケーションを使うものと本質的には違わない。ただ自らの主張や思いを伝える手段として暴力はあまりにも原始的でシンプルな手段であり、だからこそ強い力を持っている。しかし同時に、人間が持つ複雑な感情や高度な主張を暴力を通じて伝えることはできない。まるで大音量で鳴り響くシンバルがピアノの美しい旋律を奏でられないように。

主人公のサンフンは幼少期の父親からの暴力とその暴力が引き起こした悲劇の記憶の中で育ったため、暴力と「シバラマ」*1以外のコミュニケーション手段を持っておらず、そのことが彼を常に苦しめ続ける。彼には甥っ子を褒めて可愛がることも、友人に感謝の言葉をかけることも、年老いて弱々しくなった父親を許す言葉をかけることもできないのだ。代わりに暴力と「シバラマ」だけがある。

本作は暴力をふるうものは哀しい存在であるということを描きながら、暴力がどのような結果をもたらすかを極めて冷徹に描いている*2。大音量を発し続けるものは、別の大音量を発するものによってかき消されるのだと。

あとサンフンの友人のマンシクがピエール瀧クリソツ、つーかほぼ本人だったので、DNA調べて欲しい。

*1:英語のファッキューを上回るぐらい下品な暴言。ピーって入っちゃうような言葉らしい。

*2:映画の冒頭のシークエンスで物理的なアクションによって描かれ、映画のラストシーンで象徴的に描かれている。